ご由緒
日本一の縁切稲荷
天喜4年(1056年)、現在の足利市西新井町「山辺中学校」の南西側にある農家の稲荷社であったと伝わっています。
ある時、身体の弱かったこの農家の息子が、源義家率いる陣営に参陣することになりました。父母は息子の身体を心配し家の稲荷社に無事をお願いをしたところ、熱心な祈願のおかげか農家の息子は勝ち戦に貢献、義家の目に留まるほどの活躍をしたと伝えられています。
その後、義家が戦勝を祈願し八幡宮を健立した際、この稲荷社も一緒に境内に建てられることになり、以降、大切に祀られてきました。
その後、時は流れましたが、門田稲荷神社は、その時代その時代の人々の苦しみや病、人間関係などの悪縁を切り幸せへと導く神様として親しまれ続けています。